アメリカでの暮らし
ホームシック
アメリカ中西部には、2005年5月から暮らしています。沖縄から離れたことのない私にとっては大きなチャレンジでもありました。やっぱり1番つらかったのは、家族と友達との別れですね。あぁ〜あれはつら過ぎた。アメリカに着いて2週間ぐらいはホームシックで泣いてました。でも、その後からは吹っ切れて「ここが私の新しい人生のスタートだ」と思い、毎日窓から外を眺めてました。
初めて身近に頼れる人のいない知らない土地での暮らしに、アメリカでの生活に慣れるまでの3年間はトイレで泣いてました。言葉の壁と日本のように行動ができないつらさ。医療的な考え方の違い。医療保険、食事や食料品などといった文化の違いからのショックでよく泣きました。何故トイレで泣いたのかと言うと、主人と子供たちにこれ以上泣いてる姿を見られたくなかったんです。乗り越えるのは私自身だからです。そして、そんなときに目に入った聖書の御言葉がありました。『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。1ペトロ5:7』です。その御言葉に救われました。
四季
アメリカ中西部には沖縄にはない四季があります。私はそれに感動しました。
春になるとスイセンの芽が出ます。それが春の知らせです。初めてそれを見たときは感動しました。夏は沖縄のように暑いので、ゴーヤーを植えてみました。すると、スクスク育ってくれました。とても美味しかったです。そして、私が大好きな秋。沖縄にいるときは、本州まで行かないとみれなかった紅葉が、家の庭や通り沿いのあちらこちらでも見れるなんて贅沢です。そして、ここでの冬は沖縄とは無縁の雪と氷点下の世界。私が住んで初めて経験した最低気温が−25℃まで下がりました。息を吸うと肺が痛かったと、表現した方がいいのかな?そんな感じでした。でも、室内は暖かいので問題はないです。そんな気候でも私はここが大好き。
英語
上達しない私の英語(笑)私のような専業主婦は、ここで働く日本人たちには勝てませんね。みなさん英語が上手です。
アメリカにきてまず気づいたことが、アメリカ人は人によって使う英語が違うことに驚いた。例えば、普通に「Thank you」って言えば「You’re welcome」ですよね。でも、ここでは人によって違う返し方がありました。「You bet」とか「My pleasure」です。そして、あとは「Forget about it, No problem, Don’t worry about it」など。また、最後のスペルの発音も言わないのもアメリカ人。最初の頃はかなり戸惑いましたが、今は「こんなんでいいのね」って感じです(笑)日本人はきちんとしてるけど、アメリカ人はマジにテキトーでOK!だから、仕事が終わればトットと帰るのも普通。気遣いなし。余計なストレスが溜まらなくていいですよね。優しいアメリカ人は、英語が話せなくても理解をしようとします。嫌なアメリカ人は、理解しようともしない。無視される。嫌な顔されます。だからと言って、そこで落ち込むのは時間の無駄。意味のないことだから。良い意味で開き直るのが私流です。でも、やっぱり英語が上手な日本人はいいよね。
友達
アメリカに来て最初の1年は友達がいませんでした。でも、急いで友達が欲しいとも思ってなかったので、ときがくる日を待っていました。
そして、1年が過ぎた頃、アメリカ人の友達から日本人を紹介してもらったのが洋子さん。洋子さんも引っ越してきたばかりでしたが、既に数人の友達がいました。やっぱり仕事をし始めたことがきっかけですぐに友達ができたそうです。アメリカでは1人の日本人と知り合いになると、次から次へと一気に人数が増えていきます。こんなにも日本人が住んでたの〜と、驚くぐらい。私は1年間暮らしてて日本人に会うことがなかったので、とても驚きました。私は洋子さんからの影響をかなり受けました。洋子さんに連れられていろんな店にも行き、アメリカの料理も教えてもらいました。洋子さんとの出会いは大きかったです。
洋子さんが引っ越す頃に、HOPEちゃんときりこさんに出会いました。そして、次にかまどちゃん。その次にりすちゃん。この4人とはずっと友達です。友達のことは次回でまた。