知ってもらいたい
毎日、頭の中は精神的に苦しむ病の事でいっぱい。
「元気な頃に戻りたい」とか「どうすればこの病から克服できるのか?」と、先の見えない事ばかりに支配されてる毎日。どんなに考えてもそこから抜け出す事は不可能だと知りながらも考えるのです。
この病気は、自分を責めてるだけ責めて、自分で追い込んでいきます。そして、自分の事を「母親失格」「妻としても失格」と、自分をどんどん追い込んでいき、自分の存在が周りを不幸にしてると、自分を恥じて死を考えてしまいます。また、常に人の目が気になり、気を遣いすぎてしまう。そのせいで、1人になったとき「あんな事いわなければ良かった」と、ずっとそれを考えてるのです。それが精神疾患であり、脳の病気です。とても苦しいです。胸が苦しくて、息を吸うのも苦しい。死んだ方がどんなに楽かと思うぐらいの生き地獄です。
私が死を考えてた頃、精神科の主治医とカウンセラーに「死を考えるときは、どのようにして死のうと思ってますか?」って、聞かれた事がありました。そして、「死ぬときに使う道具を用意してますか?家にありますか?」とも聞かれました。それを聞かれたとき、私はゾッとして、現実に戻った事を今でもはっきり覚えてます。
また、「死ねないのはどうしてですか?」って聞かれたとき、私は「子供たちの事を考えると死ねない」と、答えました。そのとき、私は号泣して声も出なかった。
誰でも生きてれば何度も「死にたい」と、口にするでしょう。でも、それを乗り越えてまた頑張る。そうやって生きています。でも、精神疾患という脳の病気になると「それを乗り越えて頑張る」という方向にはいきません。だから、そこで苦しんでしまう。でも、私は「死にたい」という苦しさから乗り越えました。乗り越えられたのは信仰もありましたが、現実的にも考えてみました。死にたいというその感情で死を考えるから、死んだ後もその感情の続きがあると思ってる私に気がついたんです。でも、生きてる人たちにとっては死んだら終わりで、私の感情もそこで終わる。
だから、死んだ途端に感情も死んでしまうから死ぬ意味がないと思ったんです。自ら命をたつって事は、そういう事なんだなって、思いました。
数日前、私は牧師先生からカウンセリングを受けました。そのときに牧師先生から言われた事で、私は大きな変化を感じました。「病気を治そうと思うのではなくて、今日する事をしたらいい」と、言われたのです。私はいつも病気を治したいという気持ちに支配されてました。でも、牧師先生は「治らない病気なら治そうと思わなくていい」と言ったのです。希望が湧きました。
★聖書のみことば★
『いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で1番すぐれているものは愛です。』
★ 信仰とは、目に見えないことを信じること。
★ 希望とは、望みをもつこと。
★ 愛とは、神さま。です。
皆さんの上に神の祝福と恵みがありますように。♡Thank you!!(╹◡╹)♡
こんにちは😊いつもありがとうございます。
Kaypinさんの苦しみとは比較にならないかもしれませんが、「母親として失格」「妻として失格」。もう消えたい。私もよくその苦しみに襲われます。
「病気を治そうと思わなくていい」。いい言葉ですね。私もうまく付き合えるよう、色々試している真っ只中です😂でも、こうやって行動できるのは、なんだかんだ元気な証拠なんですよね…
Kaypinさんが毎日幸せ、と過ごせることを、遠くから祈っていますよ。
まじょさん、コメントありがとうございました。
コメントを読んで「私は1人じゃないんだ」って、思ったよ😊
嬉しかったです。心から感謝してます。
私もまじょさんの事を遠くから祈ってるよ。
これからもよろしくお願いします😀