私は転校生
転校生はいじめの対象になりやすい。
私もそうでした。
最初は興味シンシンに近寄ってくるけど、それに満足すると、急に手のひらをひっくり返したみたいに無視されて、私がしてない事を「私がやった」とか言い出したり、仲良くしてた友達に無視されたかと思えば、急に仲良くされてこられて振り回された。
でも、また仲良くされてこられると嬉しから、私は何も言わずに喜んで元の友達に戻った。
そして、また仲間外れにされて、他の女子からも無視されるようになっていきました。
いじめはどんどん酷くなって、私の机の中に「女子全員でお前のこと無視するからな」と書かれた手紙が入ってたこともあった。
なかには、直接手紙を渡してくる女子もいた。
学校に行っても1人だし、休み時間になると、女子たちが友達同士集まっておしゃべりしてる同じ教室の中で私は1人席から動くことなくボーッとするしかない。
1人で待つ次の授業のチャイムの音がとても長く感じた。
それがとても嫌で途中からよく学校から逃げたし、朝の遅刻もほぼ毎日だった。
そんな私を見てた人がいた。
男子のはいさい君と、う-さい君。
はいさい君が私に「ヌーガアッターヤ、ヤーヌクトゥ無視するばぁー(何故、あいつらはお前のことを無視するんだ)」と、聞いてきた。
そんなこと聞かれても私にも分からないので「分からん」って言ったら「ウングトゥーシーネーナランドー(こんな事したら駄目だよ)」と言ってくれた。
はいさい君は人情深い人なので、私が1人でいるのを見てて我慢ができなくなったんだと思う。
そう言われたとき、私は嬉しさと同時に救われた。
そして、う-さい君とはよくおしゃべりをした。
特に授業中に小声で話すときはよく笑ったことを覚えてます。
この2人がいなかったら、私はこのいじめから乗り切ることは出来ませんでした。
正直に話すと、私はこのいじめで初めて人を恨むことを知りました。
初めて自殺を考え、それもただの自殺ではなく、私をいじめたあいつらを困らせるだけの自殺だった。
一冊のノートに1人ひとりの名前を書き、その人が私に何をしたのかを細かく書き残して恨むという自殺だった。
まず「何処でどうやって死のうか?」とか「痛くない方法で死にたい」と考えた。
でも、私には死ぬ勇気がなかった。
だから、私はいじめられて家に帰ってくるたんびに悔し涙が出て、自分に腹が立って、また家を飛び出して朝まで遊そぶの繰り返しをしてた。
私はオートバイの後ろに乗せてもらうだけで何もかもが吹っ飛んだ。
あの吹っ飛んでいく瞬間が何とも言えなかった。
そして、私は心の中でこう叫んだ。
「神さまお願いだからこのまま時間を止めてください。何もいらないから時間だけ止めてください。神さまお願いします。」って、何度も祈ってた。
そのときの私は、クリスチャンでもないのによく祈ってました。(精神的虐待を受けてる頃から祈ることをしてました)。
また、学校が休みのときは、はいさい君とう-さい君たちとも遊んだ。
学校以外の時間は、私にとって解放感にあふれた時間でした。
★ 私が伝えたいこと ★
いじめは、私を精神的に追い込み、心に大きな傷を残しました。
私はこのいじめで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えて苦しんでます。
でも、神さまがいじめを通して「人の痛み」を私に教えてくれました。
私はこの経験をしたことで、人をいじめから守れる勇気も神様からもらいました。
時間はかかったけど、あのいじめから40年経った今、私をいじめた人たちのために祈ることができるようになりました。感謝です。
そして、もう1つ神さまが教えてくれたことは、「過去に生きるのではなくて、今を生きる」ということです。
★聖書のみことば★
『3:そればかりではなく、患難さえも喜んでます。それは、患難が忍耐を生み出し、4:忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知ってるからです。 ローマ人への手紙 5章3〜4節』
皆さんの上に神の祝福と恵みがありますように。♡Thank you!!(╹◡╹)♡